◎祇園祭 豆知識
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八坂神社の主祭神 現在は、素戔鳴尊(すさのおのみこと)と言われています。
明治時代までは神仏習合で牛頭天皇(ごずてんのう)が祭られていました
素戔鳴尊と言うのは、牛頭天皇が日本に神として現れた時の名です。
牛頭天皇とは、祇園精舎の守り神
祇園祭の起源 平安時代、都の置かれた京都盆地の中央部は湿地帯でした。
都が、10万人規模の人口を抱えるようにると、都市独特の諸問題が頻出、
特に疫病(伝染病)の流行・蔓延や洪水などにたびたび襲われました。
その原因は、政治的に失脚したり、暗殺されて死んだ人達の怨霊による祟りだとする
怨霊信仰が自然発生的に起り、そのような疫病・災害が起こった時、その怨霊を祀り祟りを鎮める「御霊会」として行われた臨時の祭りが祇園祭の出発点です。

[最初は御池通に残る神泉苑(=往時は今の何倍もある広大を持っていた)で行われました。]

千年ぐらい前には、平安京のすぐ郊外(都の周縁)にこの祭りを行う神社として、
北野社、今宮社、上・下の両御陵神社、祇園社などが置かれ、
毎年 郊外の神社から1年間の無病息災を祈願して平安京のまちなかを巡る神輿を出して、
災厄を祓い淨め、又神社へ戻るという定期的な「御霊会」として『祇園祭』が定着したものです。

御霊会は長い「鉾」(刃を持つ武具)に霊力を持たせ、街の空気を切払いながら巡って、
災厄を退散させる形から発し、その鉾を、きらびやかに豪華に飾りつけていったのが
今に伝わる山鉾です。

特に江戸時代町衆が経済力を持つと、山鉾を持つ各町内で競って趣向を凝らし、贅を尽くし
今見られるように大変な美術品、動く美術館とよばれるものとなって人々を惹きつけ止みません。

祭りの神輿も、怨霊を都の外に追い出す為の1回きりの簡単な使い捨てだったのが、
毎年使う豪華なものに変わってきたのです。
氏子圏も、ほぼ今の区域と同じに定着し、その区域の端あたらに御旅所が置かれました。
昔は、烏丸通竹屋町(今の京都新聞のところ)に「少将井御旅所」・烏丸高辻の「大政所」と言う二つの御旅所が置かれ神幸祭と還幸祭の間はそこに神輿が来て留まりました。
太閤秀吉の京都の町大改革によって今の四条の御旅所一箇所になっています
巡行7月17日
巡行はもとは2回ありました
祇園祭と言えば、山鉾巡行を思われる方が多いでしょう。
午前9時四条烏丸にずらっと並んだ様は壮観の一言。
この巡行も昭和40年までは17日が"先の祭り”24日が
"あとの祭”と2回に分かれていました。
山鉾町がそれぞれ先と後に分かれていたのです。
なんとなくあとの祭はよりローカルなのんびりとした雰囲気が強かった様に覚えています。
今はこの代わりに花傘巡行が行われているのです。
戦前は、巡行も今とはかなり違ったコースを通っていました。
先の祭りが、四条から東へ向い寺町通を右折し南に、そして
松原通をもう一度右折して西に向き解散。
あとの祭は、三条通を東に、寺町通で右折して南に向き、
四条通を又右折して西を向かい解散するというコースでした。
戦後も、何度かコースが変わり
1966(昭和41年)から現在の形が定着したのです。  
吉符入り 祇園祭の神事始めのことです。
普通7月1日午前中に行われ、各山鉾町で町内関係者が町会所に集まり祭神を祭ってお祓をし祭りの無事を祈る他この年の祭り当番なども決めたり諸事打ち合わせが為されます。
くじ取式
巡行する順番を決める式。現在は京都市長・祇園祭山鉾連合会長・各山鉾町代表者により市役所で行っています。これは、例年巡行の先陣争いがされた事から"応仁の乱”後室町時代から始められました。江戸時代には六角堂で行われていましたが、明治22年市制施行以来市役所でされるようになっています長刀鉾・函谷鉾・放下鉾・岩戸山・船鉾・北観音山・橋弁慶山・南観音山の8基はくじ取らずと言って毎年の順番が決まっています。     
神輿洗い
7月10日・28日の夜
神幸祭(と還幸祭)の時に出る神輿三基の内、主神を祀る中後座の神輿を四条大橋まで運び、鴨川の水で浄める行事。
これより先に、午後5時頃から本殿で神輿洗奉告祭が行われ、続いて「道しらべの儀」・・・・四若神輿会の若衆達が大松明を交互にかついで四条大橋まで往復し神輿の通る道を清めます。
この大松明が帰ってきたらその火が4本の小松明に移され、中御座の神輿がかつぎだされるのです。
四条大橋に神輿が着くと、鴨川の水が神職によって掛けられ神輿と担ぎ手共に祓い浄めた後、再び神社に戻ります。この神水をあびると流行病にかからないと言われ、人々が群がります。   
宵山(14・15・16日)
各山鉾町の駒形提灯に明かりが入ると祇園囃子も流れます。
町会所には巡行の時の飾りや人形など晴れやかに展示され
小さい子供達の「縁結びのお守りはこれより出ます。常は出ません今晩限り・・・お求めなされましょー・・・・」とかわいらしい呼び声にいっそう雰囲気が盛り上がります。
護符で有名なのがうらで占出山や船鉾の安産のお守り、
役行者山の厄病除け、保昌山の盗難除け・縁結び
霰天神山の火災よけ鯉山の立身出世などなど・・・・。

16日は午後10時半頃から各鉾で日和神楽も行われます。
各囃子方が巡行の無事を祈り囃子を演奏しながら御旅所に詣ります。
南観音山では、日和神楽の後「暴れ観音」と言って、ご神体の
観音様を輿に括り付け、町内を大暴れしながら回ると言うめづらしい行事もあります。
きものさんぽのお薦めは、14日や15日お昼の間に
各山鉾町の町内のお飾り所を巡ることと
あちこちの町屋での屏風祭りの見学です。
屏風祭 (14から15日) そこここに有る町屋では、店の間を開け放し、秘蔵の屏風、掛け軸や小袖などの美術品を飾り、宵山見物の人びとに披露します。
昔、日本画を学ぶ人はこの絵画を模写して前ありと言う事も有ったようです。
有名なところは、吉田家・松阪屋・藤井絞:北観音山町
          秦家:太子山町
          伴市:浄妙山
          杉本家:伯牙山  
等ですが、他にもまだまだあるようです、皆さんも早めの宵山・屏風祭り探索をされたらいかが。
           
神幸祭(しんこうさい) (7月17日)





祇園祭は巡行とよい山がメーンの行事のようになっていますが、元々、平安時代に端を発する怨霊信仰に基づく、八坂神社の年に1度の例祭なのです。

祇園祭(昔は祇園精舎・祇園社と言いました)の中心は神輿の行列の巡行なのです。
7月17日に巡行が先払いをした後、久世駒形稚児に先導され八坂神社から出発します
3基の神輿は、祓い淨めながら区域を巡った後、還幸祭まで四条御旅所に置かれます。 
特に今年は解体修理完成を祝して三神輿が八坂神社石段下に揃ぞろいし、例年にない見物と成るようです。(時間は17日巡行後の午後6時半の予定)    
夕方4時半頃から八坂神社では綾戸国中神社のスサノオノミコトと八坂神社のスサノオノミコト
を合体させる神事が行われます。
この後、三座の神輿が出て石段下に集結、熱気あふれる「差し上げ」をした後
氏子地域を10時ごろまでかかって巡幸します。
氏子はこの神輿の神を拝み疫病退散・などを祈る純粋な神事です

このお神輿さんには祭神スサノオノミコトが祀られますが、只のスサノオではありません。
八坂さんのスサノオは和御霊(にぎみたま)。
駒形稚児と呼ばれる綾戸国中神社の稚児が、駒形の御神体を胸に奉持し
乗馬で祇園さんまでお連れするスサノオは、荒御霊(あらみたま)です。
この両神が17日合体すると最高の霊力を持つ神となり、
この最強のを神を神輿に移し、神幸祭・還幸祭が行われるのです。

神幸祭の先触れが17日今日の巡行。
還幸祭の先触れが24日の花笠行列(昭和41年・1966から前と後が合同になった代わりの行事)
雅やかな巡行に比べ、大変な勢いのおみこっさんを見られたら驚かれると思います。                                       
還幸祭(かんこうさい
 (7月24日)
神霊を載せた3基の神輿が、四条御旅所午後5時ごろ出発し氏子地域を回り、八坂神社に還幸します。

世駒形稚児




お稚児さんといえば長刀鉾が有名ですが、
祇園祭りの本来の意味から言えば、神事に欠かせないお稚児さんが久世の駒形稚児。
旧上久世村(現京都市南区上久世町)から祇園祭の神幸祭と還幸祭に各一名ずつ、2名が選ばれ、中御座の神輿の先導をする稚児です

八坂神社に普段鎮座している、素戔鳴尊(すさのおのみこと)は和御魂(にぎたま)で、神のやさしい穏やかな面を持つ神。
駒形稚児が送り出される、上久世の綾戸国中神社(あやとくになかじんじゃ)の祭神も、素戔鳴尊ですが、その荒御魂(あらみたま)と言って同じ神でも荒荒しい烈しい面を持つ神と言われます。
一年に一度その両方の神様がお会いになり、合体しないと祇園祭は成立しないのです。
駒形と言うのは、稚児が首から掛けている馬の首の形をした木製の物です。
(写真では、ご幣の影になっている)
この駒形を首に掛けて騎乗した時から綾戸国中神社の祭神の化身とみなされます。
八坂神社の神と同格の神の化身ですから、なんびとたりとも許されない騎乗のまま境内に入り、本殿にもそのまま乗りつける事が出来ます。(この参代の仕方は長刀鉾のお稚児さんにも許されていないのです。)
平安時代末の「年中行事絵巻」にも駒形稚児が描かれているように、初期からその存在が確認されます。
馬は昔、農耕儀礼に重要な意味を持つ。
馬→龍を想起させ、龍は農耕に欠かせない水を司ります。
(この神社の区域には生贄としたと考えられる馬が発掘される)
御旅所が昔は2箇所、そのうちの一つが少将の井と水に関係し又その御旅所の井戸の上に神輿がドンと置かれていたという言い伝えからもわかるように、水神信仰とも関係が深い祭り。 
巡行は神幸祭の先触れ。本来の祇園祭の核である神事・神輿巡幸のへの奉納行事といえます。

駒形稚児さんは、この蒸暑い中城陽市あたりから来られます
昔は実際に乗馬で移動、(現在は車で)
石段下の原了郭が稚児宿として江戸時代からお世話を続けていて
まずここへ入り、衣装等を調えて神社祭殿に上ります。
稚児は祭神の化身!馬を本殿まで乗り付けます
(長刀鉾のお稚児さんも人間としての最高位なので大名格の扱いながら馬を乗り付けるのは
神様格の駒形稚児のみです。)
神事の後、最強の神の化身の稚児が胸元に馬の首(駒形)を下げおみこしの先導役をします。

夜の町に『お神輿っさんが来はるえ』と呼び交わし
頭を下げ拍手を打って神さんを拝むのが小さい頃からの慣わし。
巡行とお神輿巡幸両方祇園祭には欠かせません

『ちゃんと拝むのえ』と言ってた祖母が夏、汗でお化粧崩れ激しい人の顔を見ると
すぐ言いました。
『おぉお、駒形稚児さんみたいになって』
この暑い中長時間の御先導役ほんまにお疲れさんです。

何はともあれ今夕石段下や中京の町中をおみこっさんのおかっけで
京都の意外な一面を発見されたら如何でしょう
無言詣(むごんまいり)
 (17日〜24日)
昔から、四条御旅所に出て居られる間の祇園さんに願い事をし、帰り道で知り人に会っても絶対口をきかずに家まで帰れたらその願いはかなえられると言う言い伝えがあります。       
夏越しの祭(7月31日) 八坂神社の境内にある疫神社で行われます。素戔鳴尊の故事に習って鳥居に茅の輪を設け、これをくぐって疫病祓を行います。
29日の「神事済奉告祭」と共にこの神事で一ヶ月間の祇園祭のすべての行事が終わります。  

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