着物で京都散策 祇園祭
 豆知識 祇園祭巡行/解体かたずけ   宵山きもので散策  お祭りにちなんだお菓子「行者餅

祇園祭とは  
山鉾巡行
巡行-辻回し
京都の夏といえば、もうそれは祇園祭!
1ヶ月にわたるお祭りが7月1日「吉符入」から始まります。
各山鉾町それぞれで神事や儀式がおこなわれ、準備作業にはいります。
その一つ、長刀鉾町では御千度参リが八坂神社で行われ祭りの無事が祈念されます。
(お千度とは町内打揃ってお参りし、本殿を回リます。本来は千回のところを3回ほど周ってそれに代えます。)
7月1ヶ月間の行事への意気が昂まって行きます。
鉾町では、お囃子の練習も始りました。
静かな宵に鉾町だけでなく思いがけない遠くまでコンチキチンの音色が流れてきます。  町屋と町屋の道を行く巡行
昔ながらの祭りの醍醐味を残しています京の夏、御簾を吊り、襖に替えて簾の戸を建てお座敷に籐筵を敷き詰めると、もう祇園祭。中京の町屋は、お祭りが待ち遠しい
 新町通巡行
新町通を下る
(南へ進む)山鉾

 豆知識  
八坂神社の主祭神 現在は、素戔鳴尊(すさのおのみこと)と言われています。
明治時代までは神仏習合で牛頭天皇(ごずてんのう)が祭られていました。素戔鳴尊と言うのは、牛頭天皇が日本に神として現れた時の名です。牛頭天皇とは、祇園精舎の守り神。
祇園祭の起源
山鉾図型摺友禅
  型染め摺り友禅の名品
  藤匠制作の"長刀鉾図”掛軸
平安時代、都の置かれた京都盆地の中央部は湿地帯でした。
都が、10万人規模の人口を抱えるようにると、都市独特の諸問題が頻出、特に疫病(伝染病)の流行・蔓延や洪水などにたびたび襲われました。その原因は、政治的に失脚したり、暗殺されて死んだ人達の怨霊による祟りだとする怨霊信仰が自然発生的に起り、そのような疫病・災害が起こった時、その怨霊を祀り祟りを鎮める「御霊会」として行われた臨時の祭りが祇園祭の出発点。
[最初は御池通に残る神泉苑(=往時は今の何倍もある広大を持っていた)で行われました。千年ぐらい前には、平安京のすぐ郊外(都の周縁)にこの祭りを行う神社として、北野社、今宮社、上・下の両御陵神社、祇園社などが置かれ、毎年 郊外の神社から1年間の無病息災を祈願して平安京のまちなかを巡る神輿を出して、災厄を祓い淨め、又神社へ戻るという定期的な「御霊会」として『祇園祭』が定着したものです。
御霊会は長い「鉾」(刃を持つ武具)に霊力を持たせ、街の空気を切払いながら巡って、災厄を退散させる形から発し、その鉾を、きらびやかに豪華に飾りつけていったのが今に伝わる山鉾です。
特に江戸時代町衆が経済力を持つと、山鉾を持つ各町内で競って趣向を凝らし、贅を尽くし今見られるように大変な美術品、動く美術館とよばれるものとなって人々を惹きつけ止みません。祭りの神輿も、怨霊を都の外に追い出す為の1回きりの簡単な使い捨てだったのが、毎年使う豪華なものに変わってきたのです。氏子圏も、ほぼ今の区域と同じに定着し、その区域の端あたらに御旅所が置かれました。
昔は、烏丸通竹屋町(今の京都新聞のところ)に「少将井御旅所」・烏丸高辻の「大政所」と言う二つの御旅所が置かれ神幸祭と還幸祭の間はそこに神輿が来て留まりました。太閤秀吉の京都の町大改革によって今の四条の御旅所一箇所になっています。
 
巡行7月17日
巡行御池通
巡行はもとは2回ありました、2014年から元の形に戻ります。
祇園祭と言えば、山鉾巡行を思われる方が多いでしょう。
午前9時四条烏丸にずらっと並んだ様は壮観の一言。
この巡行も昭和40年までは17日が"先の祭り”24日が
"あとの祭”と2回に分かれていました。
山鉾町がそれぞれ先と後に分かれていたのです。
なんとなくあとの祭はよりローカルなのんびりとした雰囲気が強かった様に覚えていますが、どんな形で復活するのでしょう。代わりに行われていた花傘巡行も続けられるようです。
戦前は、巡行も今とはかなり違ったコースを通っていました。
先の祭りが、四条から東へ向い寺町通を右折し南に、そして
松原通をもう一度右折して西に向き解散。
あと祭は、三条通を東に、寺町通で右折して南に向き、四条通を又右折して西を向かい解散するというコースだった。
戦後も、何度かコースが変わり1966(昭和41年)から現在の形が定着した。  
 
吉符入り 祇園祭の神事始めのこと。
普通7月1日午前中に行われ、各山鉾町で町内関係者が町会所に集まり祭神を祭ってお祓をし祭りの無事を祈る他この年の祭り当番なども決めたり諸事打ち合わせが為される。
 
くじ取式
籤取り式
巡行する順番を決める式。現在は京都市長・祇園祭山鉾連合会長・各山鉾町代表者により市役所で行っています。これは、例年巡行の先陣争いがされた事から"応仁の乱”後室町時代から始められました。江戸時代には六角堂で行われていた。明治22年市制施行以来市役所でされるようになった長刀鉾・函谷鉾・放下鉾・岩戸山・船鉾・北観音山・橋弁慶山・南観音山の8基はくじ取らず。毎年の順番は不動。    
 
神輿洗い
 (7月10日・28日の夜
   神輿洗い
神幸祭(と還幸祭)の時に出る神輿三基の内、主神を祀る中後座の神輿を四条大橋まで運び、鴨川の水で浄める行事。
これより先に、午後5時頃から本殿で神輿洗奉告祭が行われ、続いて「道しらべの儀」・・・・四若神輿会の若衆達が大松明を交互にかついで四条大橋まで往復し神輿の通る道を清めます。この大松明が帰ってきたらその火が4本の小松明に移され、中御座の神輿がかつぎだされます。四条大橋に神輿が着くと、鴨川の水が神職によって掛けられ神輿と担ぎ手共に祓い浄めた後、再び神社に戻ります。この神水をあびると流行病にかからないと言われ、人々は手をあわします。   
 
 前(さき)祭り 山鉾建て 
 (10日〜14日)
 
 町毎に収蔵庫から山鉾を出し組立てる。 「えび」と呼ばれる独特の縄組みに注目
宵山(14・15・16日)
   宵山
各山鉾町の駒形提灯に明かりが入ると祇園囃子も流れる。
町会所には巡行の時の飾りや人形など晴れやかに展示され、小さい子供達の「縁結びのお守りはこれより出ます。常は出ません今晩限り・・・お求めなされましょー・・・・」とかわいらしい呼び声にいっそう雰囲気が盛り上がります。
護符で有名なのがうらで占出山や船鉾の安産のお守り、役行者山の厄病除け、保昌山の盗難除け・縁結び
霰天神山の火災よけ鯉山の立身出世などなど・・・・。
16日は午後10時半頃から各鉾で日和神楽も行われます。
各囃子方が巡行の無事を祈り囃子を演奏しながら御旅所に詣ります。南観音山では、日和神楽の後「暴れ観音」と言って、ご神体の観音様を輿に括り付け、町内を大暴れしながら回ると言う珍しい行事も行われます。
きものさんぽのお薦めは、14日や15日お昼の間に各山鉾町の町内のお飾り所を巡ること。あちこちの町屋での屏風祭りも見事。
 
屏風祭 (14から16日)
宵山
店の間を開け放し、秘蔵の屏風、掛け軸や小袖などの美術品を飾り、宵山見物の人びとに披露します。
昔、日本画を学ぶ人はこの絵画を模写して廻ると言う事も有ったようです。
有名なところは、
吉田家・松阪屋・藤井絞:北観音山町、秦家:太子山町
伴市:浄妙山、杉本家:伯牙山等。他にもまだまだあります、皆さんも早めの宵山・屏風祭り探索をされたらいかが。           
 前祭 巡行(17日)辻回し  7月17日 9時 烏丸四条にずらりと勢ぞろい。
四条堺町で「くじ改め」籤取り式の順番と相違ないことを祭り奉行に報告し進む。
長刀鉾お稚児さんの結界切儀式・一番の見せ場。
さぁいよいよ御池通新町角へ長刀鉾が先頭を切ってやって来ました。新町通は町中の細い道!ここへ入っていくのが叉一つの見せ場の「辻回し」長刀鉾のお稚児さんは新町御池角で任務終了。
拍手の内、強力さんの肩に乗りはしごで地上に降ります
 
神幸祭(しんこうさい)
  (7月17日夕方から)

神幸祭
祇園祭は巡行とよい山がメーンの行事のようになっていますが、元々、平安時代に端を発する怨霊信仰に基づく、八坂神社の年に1度の例祭。祇園祭(昔は祇園精舎・祇園社と言いました)の中心は神輿の行列。7月17日の山鉾巡行後、 夕方4時半頃から八坂神社では綾戸国中神社のスサノオノミコトと八坂神社のスサノオノミコトを合体させる神事が行われます。この後、後久世駒形稚児の先導で八坂神社から出発。氏子地域を10時ごろまでかかって巡幸。
三座の神輿が出て石段下に集結、熱気あふれる「差し上げ」は見所!祓い淨めながら区域を巡った後、還幸祭まで四条御旅所に置かれます。氏子はこの神輿の神を拝み疫病退散などを祈る純粋な神事。
このお神輿さんには祭神スサノオノミコトが祀られますが、只のスサノオではありません。八坂さんのスサノオは和御霊(にぎみたま)。駒形稚児と呼ばれる綾戸国中神社の稚児が、駒形の御神体を胸に奉持し乗馬で祇園さんまでお連れするスサノオは、荒御霊(あらみたま)。この両神が17日合体すると最高の霊力を持つ神となり、この最強のを神を神輿に移し、神幸祭・還幸祭が行われます。
雅やかな巡行に比べ、勢いのあるおみこっさんを見られたら驚かれるでしょう。
 
後祭り 宵山(21日〜23日)  山鉾10基が組み立てられる
 
後祭り 巡行 (24日9時30分)  2014年から40数年途絶えていた後祭り巡行復活。烏丸御池〜河原町〜四条河原町〜四条烏丸
 
還幸祭(かんこうさい
 (7月24日夕方から)
再び神霊を載せた3基の神輿が、四条御旅所午後5時ごろ出発し氏子地域を回り、八坂神社に還ります。
 

世駒形稚児

久世稚児
お稚児さんといえば長刀鉾が有名ですが、祇園祭りの本来の意味から言えば、神事に欠かせないお稚児さんが久世の駒形稚児。
旧上久世村(現京都市南区上久世町)から祇園祭の神幸祭と還幸祭に各一名ずつ、2名が選ばれ、中御座の神輿の先導をする稚児。八坂神社に普段鎮座している、素戔鳴尊(すさのおのみこと)は和御魂(にぎたま)で、神のやさしい穏やかな面を持つ神。駒形稚児が送り出される、上久世の綾戸国中神社(あやとくになかじんじゃ)の祭神も、素戔鳴尊ですが、その荒御魂(あらみたま)と言って同じ神でも荒荒しい烈しい面を持つ神と言われます。一年に一度その両方の神様がお会いになり、合体しないと祇園祭は成立しません。駒形と言うのは、稚児が首から掛けている馬の首の形をした木製の物です。(写真では、ご幣の影になっている)この駒形を首に掛けて騎乗した時から綾戸国中神社の祭神の化身とみなされます。八坂神社の神と同格の神の化身ですから、なんびとたりとも許されない騎乗のまま境内に入り、本殿にもそのまま乗りつける事が出来ます。この参代の仕方は長刀鉾のお稚児さんにも許されていません。平安時代末の「年中行事絵巻」にも駒形稚児が描かれているように、初期からその存在が確認されます。馬は昔、農耕儀礼に重要な意味を持つ。馬→龍を想起させ、龍は農耕に欠かせない水を司ります。(この神社の区域には生贄としたと考えられる馬が発掘される)
御旅所が昔は2箇所、そのうちの一つが少将の井と水に関係し又その御旅所の井戸の上に神輿がドンと置かれていたという言い伝えからもわかるように、水神信仰とも関係が深い祭り。 巡行は神幸祭の先触れ。本来の祇園祭の核である神事・神輿巡幸のへの奉納行事といえます。
駒形稚児さんは、この蒸暑い中城陽市あたりから来られます。昔は実際に乗馬で移動、(現在は車で)
石段下の原了郭が稚児宿として江戸時代からお世話を続けています。まずここへ入り、衣装等を調えて神社祭殿に上ります。稚児は祭神の化身!馬を本殿まで乗り付けます。(長刀鉾のお稚児さんも人間としての最高位なので大名格の扱いながら馬を乗り付けるのは神様格の駒形稚児のみです。)
神事の後、最強の神の化身の稚児が胸元に馬の首(駒形)を下げおみこしの先導役をします。
夜の町に『お神輿っさんが来はるえ』と呼び交わし頭を下げ拍手を打って神さんを拝むのが小さい頃からの慣わし。巡行とお神輿巡幸両方祇園祭には欠かせません。『ちゃんと拝むのえ』と言ってた祖母が夏、汗でお化粧崩れ激しい人の顔を見るとすぐ言いました。『おぉお、駒形稚児さんみたいになって』この暑い中長時間の御先導役ほんまにお疲れさんです。何はともあれ今夕石段下や中京の町中をおみこっさんのおかっけで京都の意外な一面を発見されたら如何でしょう
無言詣(むごんまいり)
 (17日〜24日)
昔から、四条御旅所に出て居られる間の祇園さんに願い事をし、帰り道で知り人に会っても絶対口をきかずに家まで帰れたらその願いはかなえられると言う言い伝えがあります。       
花笠巡行 (24日10時) 前祭・後祭合同した時に古いお祭りの形を再現して始められた。 八坂神社出発
夏越しの祭(7月31日) 八坂神社の境内にある疫神社で行われます。素戔鳴尊の故事に習って鳥居に茅の輪を設け、これをくぐって疫病祓を行なわれる。29日の「神事済奉告祭」と共にこの神事で一ヶ月間の祇園祭のすべての行事が終わる。

「きもので宵山さんぽ」
25mの高い鉾かしらを見上げ 船鉾に上がり 江戸時代の渡来の懸装品ベルギーの段通に目を見張り 
屏風祭りのおうちの秘蔵の美術品・屏風やしつらえに町屋の文化を感じ しっかりと縁結びの御守りを戴き
32の山・鉾の内いくつ回ったかしら・・・・4時間の行程でした。
例年にない過ごしやすさとは言え  よく歩いたわねぇ・・・・
着付け練習  
さあ、着付を始めましょう。
私はもう出来ました!どぉーお?かわいいわぁ
会食  資料読み    
長時間のさんぽに備え、資料も読んだし
さ、楽しくお腹ごしらえよ。
宵山見物
船山     
宵山見物
京都一番の規模の町屋 杉本家住宅 伯牙山町会所飾り
蟷螂蟷螂山
唯一からくリ細工の山・羽・手足が動きます
宵山見物 
屏風祭りのおうちを拝見。ほぉー立派な屏風・段通ね。
『いやぁ、「七福神宝船」目出度さいっぱいね』
宵山見物 宵山見物
この日はまだすいていて船に上ったら貸しきり状態。しばし 航海へ・・・
こんな階段で鉾に上ります。(ちょうど住居の2階の高さ)
鉾によっては、町会所2階から直接乗り込むとこも有り。
屏風祭り 屏風祭り 屏風祭り
屏風祭りは、鉾町の町屋秘蔵の美術品を公開
格子窓越し・・・玄関の間に・・と惜しげなく 見ごたえあり
六角烏丸西・浄妙山町の鈴木松年作「雌雄狼図屏風」は今年も一番の見所!でした
保昌山
保昌山 
保昌山は縁結びの
ご利益があるようです・・・!
宵山見物
♪♪お信心の御方様は、♪♪おろうそく1っ丁献じなされましょう。♪
♪御守りは今晩限り常は出ません♪♪と可愛いお嬢ちゃんたちの歌い上げる声に
ろうそくで献灯を・・・

浄妙山
宵山見物
ちまきも手ぬぐいも買えたし、ここらで一服。
宵山見物     宵山見物 
文庫結び 変わりリボン型・角だし変形バージョン   
ご参考に:“きものさんぽみち”宵山散歩のコース (12時出発)
役行者山(室町三条・行者餅由来の山) → 鯉山(室町六角下ベルギー製タペストリ)→ 北観音山 (新町六角下る) → 吉田家 → 藤井家(見事な町屋の設え)→ 南観音山 (新町蛸薬師)→ 蟷螂山 (西洞院四条上る) → 伯牙山(綾小路西洞院 町会所杉本家) → 船鉾 新町四条下る → 函谷鉾(最初に女人禁制を破った鉾) → 月鉾 → 菊水鉾→ 保昌山 東洞院高辻下がる(恋の成就・) → 長刀鉾 (こうもり ねずみ さる 蛇 なめくじ・・・)→橋弁慶山 → 浄妙山(雌雄狼図by鈴木松年)
    国宝級・重文級ざくざくと厚みある町の力を充分堪能  4時ごろ 解散しました。 ほっ 

 祇園祭巡行と後かたずけ 山鉾の解体 
     
 三条新町角で見物。着物で10人も固まって見物していると、とても目立つ一行!
カメラをしばしば向けられました。後ろに来るのは北観音山
      
菊水鉾の車輪  直径は、人の身長ぐらい
 
 骨組だけになりました
 巡行後町内に帰ってきた山鉾は直ちに解体され蔵に収蔵されます
(片づけが一段落したのが3時半。あくる日残りの枠組みなどが各町の蔵に仕舞われます。)
函谷鉾鉾
函谷鉾
懸装品を取り外す作業枠が付けられています

菊水鉾
室町通りの道幅一杯に立って居る

長刀鉾
屋根が取り払われ、長刀が傾いでいました

長刀鉾
構造がよく見えます真ん中が「蝶」と呼ばれる縄組み
 鉾のもっとも上かみ(北)に位置するのが「北観音山」新町御池で順番の最後まで待機し、やっと町内に帰ってきました。囃し方はさっそく冷たいビール・お茶(美味しそうに)と昼食。ご苦労様でした。  ここから作事方は最後の務め解体・片付けです・・5mほどの太い「てこ」『♪よいしょっ よいしょっ よいしょっ♪』と調子のよい掛け声で力をあわせて
四つの車輪を、一つずつはずし、順番に蔵に仕舞います。胴掛け 水引 見送り 縁 天井 なども同時進行で
あれよあれよと外され屋根の上には、障子カバーが掛けられました。 
本体の木組みは明日片づけ・・・作事方は最低でも4・50人居られるそうです。
この日、車体の下でジャッキを調節中の作事方のお一人に知人発見。普段は会社勤めされてる人です。
だんだんとこのように・・解体され枠組みだけに戻ります。釘1本使わず 縄のみで 
この巨体が組み上げられている柔構造が揺れを吸収、その粘り強さで辻回しで揺すられても倒れません。

 毎年祇園祭の時期“きものさんぽみち”『えび』を床の間に飾ります
      
  懸想品が飾られる前の本体構造は、釘を1本も使わず、この様な縄だけで組み上げられています。
この縄の形をえびと呼びます、他にもいろいろな形の縄がらみが有り
雄チョウ・雌チョウ・鶴・亀結びなど鮮やかにスタイリッシュに職人さんのあぞび心意気を感じさせます。
柱、筋交い、を縄のみで固定し、しかも遊びを持たせて縄をかける為巡行時動着によって起こる
鉾のひずみを吸収する見事な構造。
 古来のスプリングです!組立を担当する作事方の人たちが記念として持ち帰られる貴重な「えび」。
北観音山の場合、左右12個あり、そのうちの一つを戴きました。
どの鉾も、車軸にしみこんだ油などに巡行の後の生々しさを感じさせます。
『今回の“きものさんぽ”、参加者の感想』
・うわさには聞いていたけど、こんな間近で 鉾の揺れる音 竹の上をすべる音 お囃子  ・・・迫力だけでなく、お祭りの息遣いがとっても面白かったです。』『お祭りも色々見物しますが、こんなに最後の始末まで見たのは初めて』
・ 『新町に入ってからは鉾の人達のお顔がほころんでましたね。・細い地元の道ならではの柔らかい表情が印象的。』

祇園祭 ちなんだ お菓子  行者餅
  行者餅               行者餅 疫病が流行ったこのお菓子を食べ、災厄から免れたといういわれのお菓子。戒沐浴し、年たった一日のみ作られる祇園祭にちなんだものです。
巡行観覧後、この行者餅を、お抹茶と一緒に賞味しました。
 和製クレープと言えるかと・・
白味噌餡に山椒味がユニークな夏の味。 
これを頂かないと祇園祭は完璧なものになりません (!)
『京都のお菓子らしい山椒 生姜の利いた白味噌が美味しい。』  
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