◎京都着物で散策 12月14日 赤穂浪士 慰霊法要 (西方寺)
12月14日、『♪時は元禄中の頃〜』と謡われる赤穂四七士討ち入りの日(約300年前)。
京都市中には大石蔵之助・浅野家にゆかりの場所が一力や山科の寓居など多くあります。
その中の一つ、東大路通二条に有る「西方寺」には「四十七士」の内小野寺十内ら4名のお墓があります。(4名は、親戚一族でした)
小野寺家は浅野家最初からの家臣であり、その百年の恩に報いるとあだ討ちに参加しました。
毎年、12月14日に慰霊法要が執り行われています。(普段は非公開この14日のみ公開されます)
西方寺のご本尊は阿弥陀様   6尺(約2.3m)の見上げるほどの大きい仏様、天井も彩色が多く残り華麗な本堂です。
この法要は、知恩院の僧侶により、蓮の花びら「散華」を撒きながら  ぐるぐる 歩き回り お声明を唱えると言うめづらしいものです。
ご住職が法要のあと、義士を温かく弔う心のこもった印象深いご挨拶をされました。
顔つき体つきそのままと言われる「秀吉」の等身大の像が特別に公開されます。ある時火事が起こり、その時のご住職が背負って逃げられた逸話があるそうです

小野寺十内の妻「円」の小袖と伝えられる寛文小袖(元禄時代に多く見られる)
もともと、このお寺は小野寺家の菩提寺。義士切腹の後、小野寺の妻「円」が4人のお墓を建てました。
円は菩提を弔った翌年、養女の眠る本國寺・了覚院に籠り、
『夫(つま)や子のま待つらんものをいそがまし 何か此よに おもひおくべき』  という辞世の句を残し、数日食を断ち 自死するという最後を遂げています。四十七士の周りに知られていない数多くの痛ましい出来事があったと推察できます・・・
この日、法要のあと琵琶の演奏が奉納され、堂内に赤穂浪士討ち入りの一節が朗々としてたおやかな声が満ち霊を慰めました
この法要のほかにも、祇園「一力」にも四十七しの位牌がいまも変わらず篤く秘めやかに祀られています。
話はかなり飛びますが、祇園石段下「原了郭」をご存知ですか。
   ここの香煎茶と黒七味は都の馥郁とした香味料です一度知れば病み付きになります。ここの創業者は同じ四十七士の原宗右衛門の息子が剃髪して企業したものです。
この日は12月にしては暖かな一日でした。法要と言うことで無地感覚の羽織を紬に重ねて参列しましたが、ショールを取った時衿が返ってしまったようです。後ろに座っておられたご年配の女性が『衿が・・・』とそっと言いながら直して下さり心がほっとあったかくなりました。着物で出かけると、ちょいちょいこのような心使いに出会えますね!
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