◎京都着物で散策 鷹が峰 光悦寺 源光庵 常照寺
鷹が峰


市街から北へ、洛北の閑静地 由緒ある古寺が並んでいます。
光悦寺 源光庵  常照皇寺・・・
どのお寺も風情豊かにひそやかに迎えてくれる、“きものさんぽみち”一のお勧め

      鷹が峰 
                  
光悦寺
 
光悦寺は本阿弥光悦の住まいであったところがお寺になっています。 三巴亭、了寂軒・本阿弥庵など七つの茶室が散在している庭園は、丘を利用し、高低差のある変化に飛んだ 緑の多いお庭は、散策が楽しめ 光悦の風雅な生活がしのばれます。
 有名な「光悦垣」
庭にも光悦の美意識は徹底されています。太虚庵前にめぐらされている垣根は、「光悦垣」と呼ばれ、ゆるやかに孤を描いて徐々に背が低くなり、牛の寝た姿に似ているところから臥牛(がぎゅう)垣ともいわれています。
本阿弥 光悦
桃山から江戸時代に生きた京都の上層町衆。 江戸初期随一の文化人。家業の刀剣の鑑定、研磨のほか絵画、陶芸、書道、作庭などあらゆる分野に優れていて独創的な才能を発揮しました。角倉素庵らと優美豪華な嵯峨本を作ったことでも知られています。
寛永の三筆に数えられた「書」のみならず陶芸や漆芸にも秀で、俵屋宗達と共に「琳派」の祖と言われます。
光悦、宗達によって生まれたこの工芸美術の流れは、光琳、乾山らに受け継がれ、輩出した琳派の名匠たちは、絵画から工芸まで、優れたデザイン感覚を発揮し、豊かで優雅な世界を作り上げました。
琳派の大きな特色は、実用と鑑賞を一つにした美しさであり、今現在も私たちの着ている着物を始め、あらゆるデザイン・意匠・生活を彩る芸術作品を始め色々な分野に、大きな影響を与え続け、日本人の美意識の基盤のひとつと言えます。

                        
源光庵                        
注:残念ながら、現在本堂及び庫裏等の修復工事のため、
平成18年9月30日まで拝観出来ません。
源光庵は、貞和2年(1346年)徹翁国師が開創し、後、高僧卍山道白禅師が曹洞宗のお寺。現在の本堂は元禄7年の創建。
    
本尊横には丸窓と角窓があり、窓からは名園は心鎮まる眺めです。
丸窓は悟りの窓。「禅と円通」と大宇宙を表し、 角窓は迷いの窓。人間の生涯を象徴し、「生老病死」「四苦八苦」を表しています
本堂の血天井は、徳川家康の忠臣鳥居元忠が兵を家康の守護に割き、
少数兵で伏見桃山城を石田軍から死守。最後自刃した血の床を弔いとして残したもの
血の手形足形が見られます。
常照寺                    
          「吉野門」
光悦の縁故により日乾上人に帰依し、僅か年齢二十三歳の時に朱塗りの山門 を寄進しています。


元和2年(1616)、日蓮宗中輿の祖といわれる日乾上人が、本阿弥光悦の土地寄進を受けて開いた鷹峰檀林(檀林=仏教の学問所)の旧跡。
往時は広大な境内に三十余棟の堂宇が並び、多くの学僧が学び、賑わっていました。学問寺である一方、天下の名妓として有名な吉野太夫ゆかりの寺としても有名。
吉野は
遊女としての最上位にあたる太夫。教養が高く、美しい人であったことはいうに及ばず、和歌、連歌、俳句、書、茶湯、香道、囲碁などあらゆる諸芸に優れ、その 名声は遠く中国にまで喧伝されたということです。
太夫が好んだ丸窓を配した茶室遺芳庵(いほうあん)やお墓もあります。
夫である豪商灰屋紹益とのロマンスも有名で歌舞伎の演目になっているほど。
太夫を偲んで植えられたという吉野桜が満開の頃の四月の第三日曜日は、島原の太夫道中や境内の随所に野点茶席が設けられる「花供養」が行われ華やかな一日となります。 光悦寺から奥へ進むと、京見峠から京への周山街道入り口になります。京見峠には昔ながらの峠の茶店があります( 土日祝のみ) 鷹が峰には市バスでどうぞ。 「源光庵前」下車 すぐです
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